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多分ネタばれ的なこともあってブログで公開せずこっそりつぶやいていたんだと思うんですけど。
ステーシーズの感想とか書いてたので今さらですけどブログにこっそり足しておきますw。

2012年6月8日 2:35

この物語は、「許されたい」物語なのだと思った。鞘師里保の演技は慈愛に満ち母性すら感じられた。ステーシーが15から17歳までの少女達であるのはその年代の少女が未だ汚れていない(と我々男が)信じられるために、聖なる母性を投影できるのだろうと思った。

ステーシーが再殺部隊に「アリガトウ」「ゴメンナサイ」を伝えるために言葉を喋るようになるシーンで、「なんといういたわりと友愛じゃ!」という言葉が頭をよぎったのは僕だけではないはず。

2012年6月9日 2:31

少女のステーシー化は謎の銀粉が原因と思われているが、果たしてそれだけなのだろうか?なぜ、14〜16歳までの少女だけが発症するのだろうか?なぜニアデスハピネスの少女達は愛する人に再殺されることを望むのか?ということは原作で語られているのだろうか…??

2:33 - 2012年6月9日

浅薄ながら、原作を読んでない自分にとってのステーシーズは、この舞台を観て感じて考えた私なりのステーシーズだ。だから的はずれなことを言ってても許して欲しい。

2:37 - 2012年6月9日

もしも16歳のさゆが僕に再殺の権利をくれたなら。僕は再殺を進んで引き受けるだろう。その時165分割に切り刻んだ肉片は、一度は口にしてしまいそうな気がする…。

2:42 - 2012年6月9日

仮にステーシーが人間に許しと安息を与える為に神に選ばれる存在なのだとしたら、その資格はただ年齢的なものだけだろうか?処女性との関連を頭からぬぐえない僕は、ならば少女を受胎させてしまえば少女のステーシー化を防げるのではないか?などと考えてしまった僕は、多分おぞましい生き物だ。

2:50 - 2012年6月9日

それに比べて少女達をステーシー化から救うために、自分の精神を破壊してまでも再殺に挑む再殺舞台のみなさんは素晴らしく純粋でその姿は美しく見える。ステーシーズの世界に住む人たちはこんなにも純粋で美しいのにこの演劇を猟奇的だとか心が重いとか言う人の気持ちがわからない。

2:55 - 2012年6月9日

…改めて読んでみると、結構陰な部分が触発されていろいろ書いてる。。
この部分を出したくなかったのかもしれないな、なんて思ったけど、ま、これも自分って事で載せちゃいますね〜。