誰かが必ず見てる

劇団東京ヴォードヴィルショー所属の役者、大森ヒロシさん。
ハロヲタ的にはシニアグラフティーの役者さんとして親しみのある方ですね。


以前にも紹介したことがありますが、その大森さんのブログでしばしばハローネタを取り上げてくれてます。(シニアグラフティー回顧録として)
そして、今日のブログでは『新宿の女』でのお話を役者メインの切り口でして下さっていて、のんちゃんの話題もあるのですが…
まず読んでない人は読んできて下さい。是非。
http://blog.livedoor.jp/nkgw364/archives/50936021.html






…読んできました?


そう、ブログであいぼんについてお話しして下さってます。
のんちゃんの話題も興味深いモノで、小学生のドリルの話とか、けん玉持って舞台に上がっちゃって、そのことで注意したら(→本来はアメリカンクラッカーを持って出て行くシーンでそのシーンが舞台の時代背景を表すものだったので)素直に聞いてくれたとか、前回の舞台ではまだ受け入れてもらえなくてこの舞台でやっと知人認定してもらえたみたい(w)だとかそんなエピソードもありつつ。


でも今日はあいぼんの話が自分的には大きかったです。


あいぼんのことについては人それぞれいろんな受け止め方があると思いますが、このブログを読んでちゃまが感じた大森さんのスタンスはちゃまにはとても共感できたので、なんだか胃がグルグルしちゃいそうな感覚も覚えつつ、嬉しく思いました。
その中で特に印象に残る言葉2つほどについて感想をば。


『残念で仕方ない。』
これ、あいぼんだけじゃなくて、あいぼんの親しい大人、だけでもなくて。スタッフ、ファン、マスコミ、ひいては社会とかそういうところまで含めて、今回の経緯に至った過程が残念で仕方ないんじゃないだろうか?そういう言葉なんじゃないだろうか?と思いました。


『ほっそりとした綺麗な子』
まぁ、実際ハローの子は太ったなんだ言われても痩せてますけど。
なんだか『ほっそりとした』って印象を受けたってのには思うところ深しです。



そんな大森さんの今日のブログ。
ラストにこんな言葉があります。

誰かが必ず見てる。

頑張るのも自分だし、手を抜くのも自分。そしてその結果も、いつか全て自分に帰って来る。


これはニレンジャーの青澄さんについて書かれた文ではあるのですが、ちゃまはあいぼんのことを思い出して読んでました。



そう、去年のインタビュー記事であいぼんが言った『なるようにはならないんですね』という言葉にちゃまは激しく否定したい気持ちを覚えたのですが。(それはここだったりここで書いてますが)


『誰かが必ず見てる』、『いつか全て自分に帰って来る』って言葉が。良いことも悪いこともね。
ボクの言いたい『なるようになる』んだって事に通じてると思えたので、とても心強く感じたのでした。




あいぼんについては、年明けから応援サイトを立ち上げられた方々がいらっしゃいます。
「亜依WISH」さん
http://ai-wish.net/


亜依国でも紹介されて知ってる方も多いでしょうが。(ボクはサージャンさんとこで知りました!)
あいぼんについて応援している人が今でもたくさんいるんだということを伝えたいという気持ちがすばらしいなあと思います。(でもそれを強要するんじゃないって姿勢も好きかな。伝わることがあれば嬉しい的な。)


そんな亜依WISHさんのコラムコーナーでこんなエントリがありました。
http://ai-wish.net/press/200801/06/1845/


『人事を尽くして天命を待つ』というエントリですが、ちゃまと同じようにあいぼんが感じた『なるようにはならない』という思いを「それは違う!」と感じてらっしゃるコラムでとても共感でき、一方的にですが改めてこのサイトの運営を頑張って欲しいなと思わずにはいられません。


ですが一点、難を付けるなら…。
「人事を尽くして天命を待つ」だと、やっぱり運任せ、天任せみたいでイヤかな。
こういうところが余計なことだと自分でも思いますが(苦笑)。


「為せば成る。」の方が個人的にははまるかなと思います。

為せば成る 為さねば成らぬ何事も
成らぬは人の 為さぬなりけり


どうでしょ?
ただ、コラムタイトルの天命は多分「あいぼん」を指すんだろうなとは思いました。
そして『人事を尽くして』っていうのは自分自身に言い聞かせる言葉でもあるんだろうなって。


まぁアレコレ茶々入れたい訳じゃなくって、応援してますから。
あいぼんへの応援の気持ちへの応援w。
そういうのなんかスキw。


「頑張って下さい!!」