憧れの連鎖。

サンストの桃のステージ。いす席のうしろで踊る幼女。
曲に合わせて、くるりと一回転。
妹をあやすお父さんに向かって「どう?」


物販、テント下で整列している桃メンバー。
グッズを買ってくれたファンと握手&歓談。
横から先ほど踊っていた幼女が近づくとそれに気づいたメンバーが笑って手を振っていた。


「綺麗」
「ありがと〜!」


いいね。こうやって「憧れ」が連鎖していくんだろうね。
これはサンストみたいな会場で、桃みたいなアイドルでなければ出来ない交流だと思った。
すごくいいものを見たと思った。



でもね。
一方で、月島きらりって存在がある。
あの子はテレビの中だけの存在で、きらりが映るテレビ画面の向こうでは何万、何十万って女の子がきらりに憧れて、歌ったり踊ったりしてるだろう。
その思いが直接交差することは多分ない。


でも。月島きらりはそれでいい。
何万何十万の思いがきらりに集約される。
その思いをたった一人で受け止めて、それでなお月島きらりとしてただそこにある。
それでいい。


テレビの向こうの月島きらりに憧れること、サンストで桃に触れて憧れること。
どちらもとても素敵なことだから、どちらに優劣をつけるなんてできない。


でも、僕という個人は幾人もの人に憧れられ、理想をぶつけられる月島きらりという存在に、その中にあるだろう一人の『少女』にどうしても惹かれてしまう。


連鎖の外で連鎖を見守る観察者。
せめて、自分くらいは憧れるモノ憧れられるモノが等しく同じ存在であったことを覚えていたい。と思うのは多分大いなる思い上がりではあるのだけれど。