LILIUM観劇終わって

LILIUM14日(土)夜公演見てきました。観劇3回目。…やっと舞台が身体に入ってきた感覚!!自分を無にして目の前に繰り広げられる物語をそのまま受け入れるコトが出来た気がします。…その分疲れましたがw。席が階段席最中央という神席でね。ここでこの境地に辿り着けたのが良かったです!

自分にとっては最初はありがちで平凡な脚本だと思えたLILIUM。それが「純潔ゆえの傲慢」という自分なりのキーワードを見つけたことで最後の展開に意味を見出すことが出来、善と悪、永遠と現在、罪と罰、美と醜etcそれらが一瞬で入れ替わり意味をなさなくなる瞬間を感じることが出来ました。…ま、コレは僕個人の見方ですけどねw。
(意味をなさなくなるってちょと表現違うかもしれない。けど、ま、いいやw。)


・ラスト直前のあの行為前のソフィーに対するリリー(りほりほ)のどや顔ね!あの勝ち誇った感と彼女がしてしまったコトに対する気付いてなさというか悪意のなさがね…後の展開に効いてくるよね。あの表情上手前列じゃないと見られないと思うけどちゃんとDVDに収められてると良いなぁ。(まさに純潔ゆえの傲慢が端的に表れるところなのです!)

・イニシアチブを取られても、意識は自分のままとしてある(例.マーガレット、紫蘭、ソフィ)。ならばあの花の群舞で花達はあんなに静かにいられてないだろう。実際は。。。と思って観てる。個人的には花に言葉を喋らせればいいのにとも思うけれど、まぁ僕の脳内で再生されてるくらいが正解なのだろう。

・「不死者(孤独)ゆえの傲慢」が第一のキーで、「純潔ゆえの傲慢」が第二のキー。第一のキーに対する『罰』が第二のキーの『罪』になってる。そういう多重構造に気づけた辺りからLILIUMへの想いが増していったな。

・庭師はソフィ(の暗示)なのか?

…違うと思います。
なぜなら花の美しさが失われることを悲しみ、美しさを永遠に留めたいと庭師は願いましたがソフィは自らの孤独を埋めるために永遠を求め、美しさはその付随に過ぎませんでした。すなわち「不死になって僕と一緒に永遠を生きないか?永遠の美しさを君にあげるよ。」(笑)であり、永遠の美しさは庭師にとっての「目的」でしたがソフィにとっては「手段」でしかありませんでした。そして庭師は最後に息絶えますが、ソフィは永遠に生き続けるVANPです。

だから庭師の歌はある種の寓話。もしくは過去の実話ではあるがソフィのことではないと思うのです。
庭師のイメージでソフィを捉えるとソフィを見失うことになる…と僕は思いました。

・永遠の繭期の終わりは主題か?(執筆推敲中)